ジョニー・ミッチェルの曲(1966年)で、彼女が23歳の時に作ったものです。

奥深~い曲を作ってくれたことに感謝が溢れます。

「俯瞰すること」が、いかに素晴らしいことかを知ることができる曲です。





注目したいのはこの3つ

①2極の相対する側面の描写
②「幻想 幻影」というフレーズ
③ジョニーの俯瞰力

です。



  



①相対する2つの側面「光と影」

光と影の具体例は
「勝ち VS 負け」「強い VS 弱い」「幸せ VS 不幸」 「正しい VS 間違い」
「成功 VS 失敗」「良い VS 悪い」「善 VS 悪」 などなど、たくさんありますね。

私たちはこのどちらか一方を欲しいと願い、
その反対側を嫌なものとして拒絶して生きてきました。


       
光と影の間を行ったり来たり、行ったり来たり。(この曲のメロディのように)

「家族が心配だなぁ」「将来が不安だ」も 行ったり来たりです。
「あの人は、もっと こうすれば良いのに」も 行ったり来たり。
テレビを見て批判して「あれはいかんぞ」となるのも 行ったり来たり。
「いつも笑顔でいなくちゃ」も 行ったり来たり。




この行ったり来たりを「ジャッジメント」といいます。

そして、こうなっていると、歌の締めくくりのように
 「結局わからない・・・」を体験することになります。





なぜなら、この「〇〇VS▲▲」のどちら側にも、答えが存在しないからです。

誰かが決めていた『〇〇VS▲▲』 を基準にしてしまって
「なぜ私はできないんだろう」
「あの人がおかしい」
「私が変なんだ、ダメなんだ」
「あの人が可哀そう」 と何の疑いもなくジャッジしたり、

又は
頑張り続けて、うまくいっていても束の間ホッとした後に
また頑張り続けている状態です。


リラックスできずに、いつも揺れている状態です。

これが、何世紀も受け継がれてきて「自分の軸」がわからなくなっているんです。





では、どこに答えがあるのか?

それが、影も光も受け容れている統合された「ニュートラル」の領域です。


    


この状態は、全肯定&全受容の体感です。しなやかでありながら揺れません。 

結果に一喜一憂せず、いつも静かです。

「わかる」を積み重ねて生きていきます。

今すぐ全てがわからなくても「今日のわかったこと」に納得していて
         その歩みは「わかる」へ確実に進んでいると実感します。

批判、比較、競争も、争いもありません。

心配も悩みもありません。

『調和、穏やか、心地よさ、ほほ笑み、深い深い喜び、感謝』などの感覚です。


「本当の自分=本当のリラックス=ニュートラル=自分軸=わかる領域」




     


このニュートラルは、「自分独自のバランス」です。

なので、
他の人にとってではなく、「自分にとってしっくりくる答え」がやってきます。
全員は理解してくれないかもだけど、「自分にはわかる心地よさ」を知っていきます。


こうやって私たちは、独自の「物の見方」「感じ方」を取り戻していきます。

そして、
どんどん自分自身になっていっているのに、周りのこともわかるようになります。

この物の見方は、
愛と調和ベースなので、相手を傷つけようなんて思いは発生しません。




         




       では、次に

②「幻想 幻影」というフレーズ


「雲も、形ある愛も、人生も幻だったわ」と歌っています。

この記憶がジョニーの中で 「ぱっと発露した」という感じを受けます。
突然、よみがえってきたと、歌詞から感じます。



私自身、このような感覚になったんです。



ある時から、自分の内側(物の見方、考え方)が変わると、それに伴って
外側の現実がどんどん変わっていく
のを見ていました。

不思議だなぁって思ってました。

運がいいとか、たまたまとか、そんなレベルではないあり得ないようなシンクロが
起き続けていたんです。 良いも悪いも。

でも、一部、何かの作用で 起こっているんかなって思っていました。 


ですが、、、 歌をお休みしてから
『全部だった』と確信したとき、さすがに開いた口が塞がらなかったです。


「現実丸ごと全部が後から」ってことは、「幻影として現れていることを現実と思っていた」と
解釈すると 深く深く納得できたんです。

だったら、あのことも あのことも そうなって当然だって思ったんです。




そして、 「なんで・・・今まで・・ 気づかなかったんだろう?」 って思いました・・・・・。


      


内側の体感、感覚がリアル。  外側の現実は幻影。

皆で体験している揺れは、皆の内側の揺れが集まって成り立ってます。
個人の揺れは、個人の内側の揺れです。




ここで大切になってくるのが、俯瞰力です。

③ジョニーの俯瞰力 

この歌全体に、ジョニーの内側のジャッジメントが詳細に描かれていますよね。

「私は〇〇をこう見ていて、こんな風に感じていた。」
ジャッジメントしている自分自身を見ています。
物事や、周りの様子も見ています。

これが俯瞰力です。

そして、彼女は「わからない」とはっきり言えるまで見たんです。



この俯瞰力は、誰もが持っている能力ですよね。

私が「外が幻想だ」と気づけたのは、この歌のように、
自分が内側に隠し持っていた様々な感覚を、素直に見たからです。
それだけです。


山本なつきの中に隠し持っていた「ジャッジ&怖れ」(ほんの一部)
何もできなくなって役立たずになるのが怖い
休んだらおしまいだ
自分から人が離れていくのが怖い
好きな仕事ができてさえいれば、他は我慢しても良い
忙しいのが良くて、暇はダメ
自分が止まることで、皆に迷惑をかけるのは絶対にいや
皆が喜んでくれるなら、自分が我慢するのは我慢に入らない
あの人が心配  
あの人にわかってほしい
腹が立つ
こんな時に笑ってられないけど笑顔でいなくちゃ

他にもたくさん。。。たっくさん あります。

これは、とても一般的です。
本当は普通に、これくらいのジャッジや怖れは誰もが持っています。
見ればわかる。   見てごらん。




ここで大切なのが、
「ゆるし」です。

「見る」
ことに「ゆるす」を加えるとジャッジメントは消えていきます。

そうそう。これって、このまま「性格」として固定されないんです。
「性格」って思ってたら、それは勘違いですよ。

ジャッジメントは単なる 癖 なので、消えます。



「ゆるす」とは、上記のそれぞれの文章の最後に、
「~って思ってたんだね」「~って頑張ってたんだね」を付けるんです。
自分を抱きしめてあげる気持ちで。

全肯定、全受容。

手放しの方法を知っている方は、この時にそれをやって下さい。
(いつか、手放しのお話も書きたいです)




ジャッジが消えると、何とも深い喜びが自分の中から溢れてきます。

何が起きているかというと
内側のエネルギーがニュートラルに変換されているんです。

この時に
納得する、想像もしてなかった答えが、スコンとやってくることもあります。




「見る」+「否定」をすると、ジャッジメントは育っていき、
「わからない」が続いていきます。

否定とは、
本音をかき消そうとして平気なふりをしたり、
怒っている自分を責めたり、
笑顔になれない自分を情けないって思うことです。

蓋をしても、リアルな内側は消えません。濃くなります。




単なる、物理化学の法則です。 エネルギーの通常の動きです。


    


そして、今振り返ると確信できることがあります。

全ての現実は、どんな過酷な場合でも、
「ニュートラルに戻って 生きてみようよ」の提案だったと。



現実という幻影は、ピンポイントだと「苦しさ」に思えても、
長い目で見ると「必要なことばかりだったんだ」と腑に落ちてきます。

同じ出来事なのに、自分の物の見方が変化していきます。
ジャッジメントの視点と、ニュートラルの視点は 優劣はないけど、別物です。


キツイ時もありますよ。 
私自身、完全なニュートラルにはなってないです。落ち込むときあります。

でも、それでも、向き合うと「やっぱり愛だった」とわかるんです。



ニュートラルへの転換は、単なる物理化学の法則ですが、
旅路は、「愛だなぁ」 の連続となります。





ぶっちゃけ言いますが、
この「ジャッジメントを散々味わってからのニュートラルへの転換」
それはそれは 本当~~に 面白いんです。

ジャッジメントをし尽くした者にしか味わえない ニュートラルの体感 があるんです。

サウナと水風呂   和菓子と煎茶   空腹後の〇〇定食 「神セット」です。


一度の人生で、「二種の感覚」を生きる。



面白いと思うんだけどなぁ。。。。。





  

では。




なぜ、わたしたちは、 ここまでして 生きているのでしょうか?

散々ジャッジメント → 今更ニュートラル

一体なんでこんなことしているんでしょうか?




それは、究極の答えを知りたいからです。

 
それぞれが、いろ~んな体験を通して、
その人にしかできない、ニュートラルな「見方」「感じ方」が育ちに育って

全ての存在たちの答えが「ひとつ」に集まった時、


     最終の答え『愛とは何だ?』がやっとそこでわかるんだと思います。


そこでやっと『自分を知った』と言えるんだと思います。

     『自分=愛=皆』 です。






そのためには、誰一人欠けてはならないし、

ジャッジメント体験 と ニュートラル体験 の間に
正しいも間違いもないとわかります。 どちらも完璧。

誰も間違っていないし、唯一の正しい人は居ません。

一番良い もありません。  特別 もありません。

全ての存在たちも、幻影たちも、昔から完璧です。







ニュートラルを深めることを「目ざめていく」とも言います。

目ざめの途中でも、わたしたちは、『相当な 調和な世界』を映していけると思います。



その時、皆で映している地球は
    

一体どんな風なんだろうと考えると、静かなワクワクが湧いてきませんか?

           








この歌を作ったジョニーミッチェルのエネルギーを感じてみてください。

20代の時の演奏 
と 
78歳の時(the Newport Folk Festival 2022)の演奏。

どちらも素敵で輝いています。(youtubeですぐ出てきます)


その中でも78歳のときの彼女の歌はニュートラルが深まっているなぁって体感できます。

   許し、愛、調和の音ですね。

全てを許している振動を音に乗せてくれていますね。



胸の真ん中を押さえてしまう気持ちわかるなぁ。