昔々のことですが、私は、3年ほどメキシコで生活していました。
メキシコといえば、皆さんは何を思い浮かべますか?
タコス、サボテン、大きな帽子、映画「リメンバーミー」、テキーラ などなど
これはちなみに、チチェン・イツァ というピラミッドです。(マヤ文明の遺跡)
メキシコには、他にもアステカ文明のピラミッドや、未開の地(ジャングル)に隠れている
ミラミッドもたくさんあります。
トゥーレの樹という胴回り42mの巨木も神秘的で素晴らしいんです。
生命の樹とも呼ばれています。
在住中(学校&仕事をしつつ)、日常も旅も楽しみました。
この期間、様々な異質なものに感動したり、憤りを感じたり。。。
今となっては全て笑い話ですが、その時の自分へ、今の自分だったら
どんな言葉をかけてあげれるかな?って思いながら綴ってみますね。
まず、楽しい発見から書きます。
たとえば、日常と密接な音楽。
お休みの日に街を歩いていると、公園でこんな感じでコンサートが
何気に開かれています。
踊りだす人も ふつーにいます。
彼女に愛の告白をするときは、この楽団(マリアッチ)を雇って、夜中に窓辺に行き、
大音量で彼女を起こし、「つきあってください」って言います。
たたき起こされた近所の人たちは翌朝「きのう セレナータが来たわねぇ」って
恋の実りを嬉しそうに話します。
お誕生日には、その人が起きる時間までに家族が集まって
「ラス・マニャニータス」という歌を歌いながら 当事者を起こします。
「あなたが生まれた朝が来たよーー目覚めなさ~~い♪」っていう歌です。
挨拶するときは、キスをします。
毎朝学校で、お友達同士、右ほほを合わせながら、「チュッ」は音だけ出します。
女子-女子 か 女子-男子 は この習慣です。
男子同士は、腕相撲決勝戦かなってくらい、爆発的な握手をします。
職場ではあまりなかったけど、学校では毎日でした。
職場ではいつも訪れる人が来るたびに
「ミラクルだね~!!!!」「奇跡だわ~!!!!」って言いながら挨拶します。
3日に一回来る人にも 言ってました。
一期一会の極みのような挨拶が 日々繰り広げられます。
そして、スーパーマーケット。
まず、お買い物する前に、リュックとか、かばん類は受付で預けます。
万引き防止です。
で、
お買い物中に、のどが渇いたり、お腹がすいていたり、食べたくなったら
バーコードが付いていれば、その場で開けて食します。
(20年以上前はそうでしたが、今はどうなんだろう? ね)
レジで「これ食べちゃった」っていう顔で
空の容器を渡すと ピッてやってくれて ゴミ箱に入れてくれます。
「盗むのは勘弁して でも、 お腹すいてたら先に食べな~」って
言われているみたい。
歴史の一歩一歩の中で、メキシコ人が採用してきた習慣は
あたたかで、オープンで、微笑ましいなぁと思います。
(テキーラ村のサボテン、アガベの畑 テキーラはここだけで生産されています)
そろそろ ムキーッとなった体験を。(メキシコを責めるつもりはサラサラないので、
フラットな気持ちで、笑いながらお読みください)
例えば、洗面所の排水管が壊れた時、電話したら
「すぐ行きます。」「何日ですか?」「いや すぐ行くから。」のやり取り後、
3日後に来ました。
遅くなってごめんねも ありません。
「来たよ~。直そうかな。」っていう感じでやって来ました。
あのとき、ぷんぷん怒ってしまった私。。。
自分の「普通こうでしょ」で待っていたから 謝って欲しかったんでしょうね。
あと、昔は大体
写真はカメラで撮って、お店で現像してもらってましたよね。
その時「〇〇時までに出来ます」っていう札を渡されるんですが、
その時間通りに行ったら
ぺろぺろキャンディを食べながら 超スローに歩いてきたお姉さんに一言
「まだ出来てない」って サクッと言われて終わりました。
全敗の気持ちでお店を出ました。
どーにかなりそうなくらい怒り心頭。。。。
自分の中の「こうあるべき」で戦っていたんでしょうね。。。
書きながら 笑ってしまいました。
メキシコ人に このことを愚痴っても
なつきの沸点は氷点下だね と言われているかのように
きょとん とされます。
(道端で食べるタコス 美味しかった)
今の自分から 昔の自分にかける言葉は:
自分の無意識に設定した基準で「これはやっちゃいけない」って生きてたら
結局、自分を縛ってしまうよ。 その縛りに気づくチャンスだよ。
ですね。
本来の自分で生きようとしていたら 同じ体験をしても
「あ、この縛っている感覚 手放せる」って気づいたり、
「何かを清算するチャンスだったかもしれない。ありがとう」って なります。
そして、その行為が自分にしっくりこないなら
相手がやったんだから 自分もやって良いとはなりません。
誰をも否定することなく、下に見ることもなく、
文化が違うからという妥協でもなく、思い出であろうと、
起きたことは全て自分の気づきのため。 ただそれだけ。シンプル。
皆の生き方は、皆にお任せ。All OK 自分にも禁止ゼロ。
その上で、「私だったら どう生きる?」って選ぶと 深呼吸できますね。
誰かを否定した状態で「あれは無し。だからコレを生きる。」と自分に課すと
のちのち、苦しさを感じるようになります。
「さすがに これは ないでしょ」は 本来の私たちなら思わないんですよね。
本来の視点なら どうしたって 相手を理解できるからです。
ひとりひとりが、物事を奥深くまで理解できる心の目になってしまうと
自ずと この世界は 平和・調和になりますね。
そんな目を持つにはどうしたらいいかというとSoledad y el Mar の歌が答えです。
自分自身と対話を重ねていくことだなって思います。
偉そうに書いた私自身、道半ばです。
もっと深く自分を理解できるようになりたいです。
長々と書いてしまいましたが、おかげで、自分の中にあった
「こうあるべき」「こう見られたい」に光が当たったように感じます。
読んでくださって ありがとうございます。
Soledad y el Mar を歌うようになってから、
メキシコでの体験、生活から感じていたことが蘇ってきました。
それが今の自分にとって、とても大切なメッセージのように思えて
ここに記してみようと思います。